空蝉日記帳

ひとりごと。

#0 観察日記

日記を書いてみよう。

そう思い立ったので、今日から書くことにした。

あと少し待てば9月が始まるし、そこから書いた方がなんとなくキリがいい気はしたけど、少し考えてみて、そんなのどうでもいいなと思ったから。

 

日記、とは言ったものの、長続きする気はしない。

この日記帳だって、#0を書くのは既に3回目だったりする。

違う名前で書いて、消して、また違う名前で書いて、消して、

また違う名前になって、今こうして3回目の最初のページを書いている。

 

思えば、現実でだっていつもそうだった。

今までの人生20年間で、1冊のスケッチブックを最後まで使い切ったことは、恐らく片手の指だけで数えられる程度。

毎回絵を描こうとスケッチブックを買っては、1枚だけ描いて、閉じて、引き出しの奥にしまいこんで、

何年か経ってそれを引っ張り出して、数年前のその絵を破って、捨てて、

1枚絵を描いて、また閉じて、しまって、また数年後に出して、破っては捨てて……

いつもその繰り返し。

勉強用のノートだってそう。1冊をまるまる使い切れない。

それなのに、同時に「もったいない」と思う気持ちも存在する。

だからノートを捨てる時は、白紙の部分を破ってとっておく。いつか絵を描くのに使うかもしれないから。

そうして破って、破って、破ってとっておいたノートの残骸がどんどん積もって、

引き出しが一つ埋まった。紙だけで。

「塵も積もれば山となる」を理解した。とんでもなく重いし、とんでもなく邪魔だ。

 

飽き性なんだと、自分でも分かっている。

自分は飽きっぽくて、怠惰で、ぐーたらの駄目人間。

何かに本気になれたこともない、本気になろうとも思わない、駄目人間。

確かに、かの坂口安吾先生の「堕落論」は何度も読み返すくらいには好きであったし、そういう人間に自分もなりたいと思った日は幾度とあった。

しかし先生が言っていた「堕落」とはこういうことじゃない。

今の僕は堕落人間ではなく、ただの駄目人間だ。どうしようもない屑人間だ。

世間一般で言う屑人間は、モラルはないが、向上心や自信だけは大きなものを持っている。その方向がどこを向いているのかは置いといて。

では、向上心も自信もない。何もやろうとしない怠惰なこの人間はなんだ。部屋の綿埃が呼吸して立っているのと同じだ。これが本当の屑人間ではないのか。

 

こうして書きたいことが散乱するのも悪い癖。一つの話を話すことにも飽きてしまう。

頭の中で考えていることや心情を、まともな文にすることができない。

故にこうして、言わなくてもいいことを、書かなくてもいいことをつらつらと並べてしまう。脈略がない。会話が噛み合わない。

日記なら、まだいい。何度でも書き直せる。いつもでも自分が思った通りに、都合よく改変できる。

だけど人との会話は、そういうわけにはいかない。一度言った言葉は引っ込められない。

どこかの少年探偵が「言葉はナイフだ」とかなんとか、そんなことを言っていた気がするけれど、本当にそう。

自分はそのナイフを、カバーもつけず、常に片手に持っている状態。

そして冷静に考えることもできないまま、それを相手に刺す。

刺して、刺して、散々刺した後に、やっと冷静になって、

「ごめんなさい、取り乱していました」とか、そういうことを言う。

気の狂った通り魔と同じ。いつもそれで後悔をする。

言わなきゃよかった。そんなことしなければよかった。そればかり。

 

話を本当に言いたかったことへと戻す。そろそろ軌道修正をしないとキリがない。

要は、日記がその後悔を減らす要因になってくれるかもしれないと思ったのだ。

日記というものは、自分の言いたいことを、何にも包まずに言える場所。ここでは何を吐いても許される。支離滅裂な文章を書いても、思ったことをそのまま書いても許される。

だってここは僕の世界だ。

 

そしてこうして狂った文章を後々改めて読んでみると、不思議と冷静になれる。

自分を客観視するというのは大事なこと。気の狂った通り魔にならないためにも。

だから自分を自分で確かめるために、日記を書くことにした。

いわば自分の観察記録のようなもの。虫かごの中の芋虫が僕。それを観察して絵日記を書く子どもも僕。全て僕。あぁ気持ち悪い。

明日の僕はこれを見て顔を顰めることだろう。それでいい。お前はこういう人間なんだと自覚しろ。

そしてそこから何も学ばず、お前はまたこういう文章を書き上げるんだ。僕は知っている。何故なら僕はお前だから。

いいんじゃないか。日記のネタが増える。そう思っている部分もあるだろう。クソッタレ。だから成長できないんだ。する気もないだろうけど。

そしていつか「もういいや」と日記を投げるだろ。今までのように。

そしていつかまた1ページ目を破って捨てて、何事も無かったかのように日記を書き始めるだろ。いい加減にしろ。

 

まずは日記を書いてみよう。書いてみることが大事だ。書かなければならない。

「〜しなければならない」という心情から起こる行動は大体がストレッサーになり得るらしいが、それはこの際どうでもいい。そのストレスを発散するのもこの日記の中にすればいい。

そうすれば相殺だ。恐らくきっと。

 

脳を使わないで文字を打つと、こんなにもおかしくて長い文が書ける。誰かへの気遣いもおかしな文の添削もする必要が無い。素晴らしい世界。

この日記は恐らくずっとこのまま。気の狂った文が続いていくだけ。後はもう知らない。

未来の自分がなんとかしてくれるだろう。なんとかしてくれ。

中身のない言葉しか、今の脳からは出てこないけれど、なんだろう。

明日はちゃんと飯を食いなよ。