#7 創作日記
今日も特にやることがなかった。
いや、ある。自創作の絵を進めるという任務がある。それは少し進めた。
終わってはいないが。
しかし、一次、二次に限らず、創作というのは本当に楽しい。
絵にしても文章にしても、自分の世界を形にするというのは何とも素晴らしいことだと思う。
今は一次創作をメインとしているが、かれこれ一次創作に手を出して、もう8年も経った。
創作活動をしている人間の始まりが、どちらの方が多いのかは分からないが、自分は一次創作を最初に始めた人間だった。
創作活動を始めた当時は、アニメも、マンガも、ゲームにも滅多に触れず、二次創作なんて物の存在は知りもしなかった。
確かに小説は、というか本はよく読んでいた気がする。元より絵を描くことは好きだったが、最初に話を創ってみようと試みたのは文章だった。
まさかこんなに長い時間、絵を描くことになるなんて、その上人から反応をもらうことがあるなんて思っていなかった。
元々、自分の考えを人に聞いてもらうのは好きだった。
それを絵にしたり、しっかりと文にすることは苦手だったけれど、自分の世界を作り上げるのは好きだった。
というか、それしかできない子どもだった。
昔は今よりも暗かった、というより、閉鎖的な性格であったから。
思い返せば、自分を取り巻く環境が最も悪かった時期が、ちょうど創作を始めた頃だった。
家庭も学校も、自分も、何もかもが嫌で、ただ部屋に閉じこもっていた頃。
あの頃が、一番何かを創っていた時期だ。
現実から逃げて、ただひたすら自分の世界を創っていた。
自分の脳内を形にして、そこに安寧を求めた。
要は、少し形は違うが、イマジナリーフレンドだとか、理想の世界だとか、そういうものの代わりだったんだと思う。
自分よりも辛い目に遭っているキャラクターを創り出して、「あの子はもっと頑張ってる」と言い聞かせていた。今思うと見事に逆効果だが。
当時のキャラクターを思い出すと、というか今日、見返す機会があったのだが。
まぁ、酷かった。
登場人物は全員ボロボロ。何かしらが欠けている。
例えば親が。例えば心が。例えば体の一部が。
我ながら面白いくらいにダークな世界だと笑ってしまったが、これはきっと、当時の自分が「いらない」と判断したものだったんだろう。
あの当時は心なんてマトモな機能を果たしていなかったし、環境が最悪になった半分の原因は家族であったし、無性に自分を傷つけたくて仕方がなかった。
彼らはきっと、自分の理想の姿の分身だった。
そして彼らを辛い目に遭わせることで、自分はまだ幸せなんだと思おうとしていた。
なんて、ここまで過去形で書いているが。
これはたぶん、今も変わっていない。
創作は自分の逃げ場。自分が言いたいことを、代わりにキャラクターに言わせているだけ。
彼らは僕の分身。僕の中の”何か”の具現化。
食事を摂りたくない自分の、
人間を止めたい自分の、
誰かの助けになりたい自分の、
何もかもを台無しにぶっ壊したい自分の、
そんな自分の中の何かの一つの、具現化。
結局は自分の世界が好きなだけなんだと思う。
けど、創作なんてそれで良いんだとも思う。
身内の人間には、そんなポンポンとキャラクターやストーリーが浮かんで羨ましいと言われることもあるが、自分としては一次創作なんて、何も考えないでやっているお遊びの一つだ。
考えるまでもなく、このキャラはこういう人間なんだと、確定されてしまう。自分でもどうやってキャラクターを創っているかなんて分からない。いつも気付いたら生まれている。
けど、もし僕のキャラクター達が、僕の中の一部だというなら、
新しいキャラクターが増えるというのは、自分の新たな部分に気付いたということと同義ではないか?と思ったりもする。
それはそれで良いことだろう。たぶん。
絵が上手くなりたいと、語彙が欲しいと思ったことは数えきれないが、今はその向上心はない。
これはマイナスな意味ではない。ただ、自分の世界を表現するのに必要なのは、優れた画力でも語彙でもないことに気付いただけだ。
描きたいように、書きたいようにすればいい。この日記みたいに。
僕は優れた画家でも小説家でもない。なら優れたものは創らなくていい。
好きなものを創れば良い。それに気づいた。
日記が長くなると何の話をしているのか分からなくなる。お決まりだ。
要は、創作活動は楽しい。それだけ。
これからものんびりやっていこう。