空蝉日記帳

ひとりごと。

#10 知識日記

今日KALDIで買ったカヌレがやたら美味しかった。次行った時も買いなよ、という未来の自分への伝言をまず残しておく。何故なら美味しかったから。

 

最近、何かの雑学だとか、言葉だとか、生きる上で別に必要のないことを調べるのが好きな気がする。

「徒爾」だとか、「畢生」だとか、そんな言葉この先声に出すことはあるんだろうか。あるとしたらどういう状況なんだ。あってたまるか。

 

しかしこれは最近というか、昔からだった気がしなくもない。

小学生の頃の趣味は、図鑑を読むことと、図鑑をノートに丸映しすることだった。

生物の図鑑が大好きだった。特に古代の。

自分が生きている前の世界を考えることや、考えても意味の無いようなことを考えることが、やたら好きな子供だった。

例えば、ビッグ・バンが起こる前、そこには何があったのか、とか。

例えば、人間はなぜ人間という生き物になったのか、とか。

例えば、何故母親は自分の母親なんなんだろうか、とか。

考えても分からない、考えても仕方のないことに対して、いつも熟考してしまう。

そして、やがてゲシュタルト崩壊を起こす。自分の親を見て、これは本当に母親か?なんて考えてしまうことだってよくある。あってはいけないことだけど。

 

特に記憶に残っているものをあげるとすると、まぁ、いろいろ浮かんでくる。

エディアカラ生物群とか、アノマロカリスだとか、ハルキゲニアだとか。

特にハルキゲニアなんて、見た目を含めて好きに決まっている。あの訳の分からない姿。あれでも生物なんだ。生きていた物だ。

あれが動いている姿を想像できるか?どうやって動いていたんだろうか。気になる。

とにかく、そういうことを知るのが好きだった。

新たな何かを覚えては、母親にそれはもううるさいくらいに解説して聞かせていた。

小学校の卒業文集に書いた将来の夢は生物学者だった。可愛くない子供だ。

 

今は心理学の分野を勉強しているというのに、関係のない、違う知識ばかり増えていく。困る。

どうしてやらねばならない勉強ばかり、頭をすり抜けていくんだろうか。興味は確かに持っているはずなのに。

 

こんなところで自分に文句を言ったって仕方がない。明日もやらねばならないことを頑張ろう。