空蝉日記帳

ひとりごと。

#13 物語日記

最近、とある好きなゲームのストーリーを読み返す機会があったのですが

まんまと過去の自分と同じところで泣きました。人間って早々変わらない。

 

今までいろいろなゲームであったり、映像作品であったり、そういうのに触れてきたけれど、自分が好きだと直感的に思うものの傾向は、割と自分でも分かってきた気がする。

 

ハッピーエンド、バッドエンド、メリーバッドエンド…の中であれば何が好きか?という質問はよくあると思うけれど、これに関しては即答出来る。メリバが一番だ。

メリーバッドエンドというのは、受け手によっては幸せだが、他の受け手によっては幸せとは限らない、という基準だと僕は思っている。そういう話が好きだ。

 

例えば、大事な人を護るために身を犠牲にしようとする人間の話。

AはBを護ることに命を懸けていて、Bのためなら身を亡ぼす覚悟がある。

Bは何よりもAを大事に思っていて、Aに幸せになってほしいと願っている。

そこでAがBを庇って死んだとき、Aは幸せを感じるかもしれないし、Bは不幸かもしれない。

 

例えば、死にたがりと生きたがりの人間の話。

Aはこの世から去ることを望んでて、それこそが幸せだと思っている。

BはAと一緒に生きて、Aにも幸せになってもらいたいと思っている。

Aの幸せは、Bといる限り永遠に来ない。

 

そんな話が好きだけど、けど、一つ大事な要素がある。

ただ、ふたりの思う”幸せ”は交わらない、というだけではない。

死にゆく方は、自らを全うして死ななければ、それは幸福じゃない。

 

言葉が難しい。

要は、自ら覚悟を決めて、何かのために命を投げる子が好きなんだと思う。

いや、命は投げなくていい。

自分の目指すことに、やりたいことに、とことん純粋な子が好きなんだ。

 

恐らく自分がそうなれなかったから、とかいう憧れも含まれているんだろうけども、

でも、何かのために純粋に向かっていく子は、この世の何よりもかっこいい存在だと思う。

そしてその子が最終的に救われてくれるなら、外から見たハッピーだとかバッドだとかはどうでもいい。

その子が幸せならそれでいい。

その幸せになる方法が死ぬことなら、それでいい。

誰かと生きることなら、それでいい。

幸せならいい。

そんな話が好き。

 

情緒が謎。

きっとストーリー全体よりも、そのストーリーの中の誰かに感情移入しやすい人間なんだと思う。

それをただ応援していて、その子が幸せになったら自分も幸せ。

たぶんそう。書いている間に例外を思い出してちょっと自信なくしてきたけど、ほとんどはそう。

 

……という、某英霊を召喚して戦うゲームの後輩が好きな人間の独り言でした。

何回読んでも泣いてしまう。だめだあれは。